「みにくいあひるのこ」たちの成長記録

本当は白鳥だと、気づかなかったら「みにくいアヒルの子」のまま。子どもたちの可能性を信じて進む日々をつらつらと綴ります。

発声練習より大事な事があるとしたら

こんにちは。

このき療育アドバイザーの馬場です。

 

 

私の子育ての中で、

1番長く感じていたのは、

息子が産まれてから話し始めるまでの

数年間でした。

 

 

息子が話し始めたのは、

3歳過ぎてからでした。

 

「アー」でも

「ダー」でも

なんでも構わないから、

声を聞きたいと、切実に願った日々。

 

あんなにも大人しかった息子が、

1歳を過ぎた頃から、

夜泣き以外にも、

私には訳のわからない理由で、

ぎゃーぎゃー泣くようになりました。

 

 

「なんで話してくれないの」

「言ってくれなきゃわからないよ」

 

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今となっては

笑って話せるようになりましたが、

こちらもパニック状態で、

泣いて暮らした記憶があります。

(ちょっと可愛すぎるイラストですね)

 

 

こんな時、

1番酷いことを言うのは、

だいたい親戚です。

 

差別用語ですので、

書くのも憚られるのですが、

 

「おしじゃないか」

「つんぼだろう」

「医者に診せたのか」

 

最後のは、まだマシなセリフでしたが…

当時は、

障害者自立支援法」や

発達障害」という言葉も、

なかった時代です。

 

医者にかかったところで、

何の助けにもなりませんでした。

 

小さな頃には、

各種検診がありますが、

今とは違います。

 

連れて行かなかったとしても、

親の自由というような背景がありました。

 

どんどん孤立していったのは、

ご想像の通りです。

 

でも、

幸か不幸か、私には人脈がありました。

 

「言葉はね、こうしないといけないよ」

 

理由があり、名前は伏せますが、

優しいおじいちゃん先生が、

そんな風に教えてくれました。

 

 

おかげさまで、本人は話さなくても、

こちらの言っていること、

伝えたいことは、理解するように育ちました。

 

 

そして…

3歳過ぎたある日の事でした。

 

運動機能も低かった息子。

「バス停まで走らせたら、

たぶん転んで、乗り遅れてしまう」

そう考えた私は、息子を抱き抱え、

バス停目掛けてダッシュしていました。

 

残念ながらバスは通過。

大きなため息をついた瞬間。

 

「バス、行っちゃったね」

 

耳元で、聞いたことのない声が聞こえました。

辺りを見渡しても、誰も居ません。

「空耳かぁ」そう思って、

息子に何か話しかけようとした時、

「バス、行っちゃったね」と、

息子が言いました。

 

 

あの驚き、嬉しさ。

 

なんとも言えない感情がこみ上げました。

 

その後は、

それまで話さなかったのは何故?

と思うほど、

たくさんたくさん話すようになった息子。

 

「私の言葉の教え方は、

間違っていなかったんだ」と、

ホッともしました。

 

 

そしてしばらくして、

大反省の機会が訪れました。

 

それはまた、次回に…。

 

 

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児童発達支援・放課後等デイサービス
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療育アドバイザー 馬場和美
0120-077-415

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